2006年07月23日

発進!アジウソンがジュビロが日々

7/12(水)  ジュビロ磐田 2 - 2 ガンバ大阪
7/19(水) ジュビロ磐田 1 - 2 大宮アルディージャ
7/22(土) ジュビロ磐田 3 - 1 セレッソ大阪

昨日、アジウソン新監督采配の3戦目で、ようやく片目が開いたジュビロなのでした。でもって、カンルイの勝利レポートを書きたかったとこなのですが、録画ビデオ(なんと、桑原隆ジュビロ初優勝監督が解説者!(@^^@))をまだ見終わっておりませんm(__)m それに、相手が、ブービー・メーカーのサクラさんなんで、う〜〜ん。ま、帰ってきたオークボくんに仕事させなかったのは、よかったけど、今週水曜のF.マリ戦が済むまで、本当に喜ぶのはとっておきましょう。でも、この水曜の試合で、喜べる可能性って、かなり限りなく低いような。何事も急にどうにかなるってもんじゃーないしねー。てか、先週水曜の大宮アルディージャ戦(オシム監督の初観戦試合)の負け方、かなり激しく暗かったらしいし(こっちの試合のビデオは見る勇気ない心弱い私・・・。)
いいの。水曜まで上を向いて歩きましょう。でも、明日からまた大雨らし(T_T)
posted by miquage at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ジュビロ>イルハン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

理解なんだか見解なんだか・・・

今回のジダンの行動(あの状況で挑発に乗ったこと)を敢えて理解しようとすれば、結局彼は、サッカーの勝利よりも、家族や個人の名誉を守ることを優先する人だったということなのではないか。最後の試合でも自分の怒りに駆られることを選んだ。個人の誇りを守ることを選んだ。彼らしいというか、彼は自分がそういう人間なのだということを、最後の試合でも身をもって表したのだ。ジダンが自分の行動を恥じないというのは、だからなのだろう。

しかし、恐らくジダンがそういう人間であることを知っていて、うまく挑発したマテラッティをジダンよりさらに悪質と見るのは、行き過ぎではないだろうか。何故ならこれまでピッチ上ではこういう作戦はよしとされてきたのだから。それは一つの常套手段なのだから。ぶっちゃけて言うと(イタリアの)サッカーとはそういうものなのだから。

そして、何故こういうことが通ってきたかというと、いくらFIFAに、言葉の暴力に対する厳しい規定があっても、その規定が通用するのは、それが審判に対して行われたり、審判に聞こえるところで行われた時に限られてきたからだ。身体的暴力は、そこに怪我をしたり、倒れたりしている選手を第4の審判までの誰かが目にすることで、確認が可能だ。さらに、ビデオでも検証が可能だ。(実際は、まだ、ビデオ検証は認められていないと思うが。)
だけど、言葉の暴力はそれこそ唇が読めるような精密な映像が残っていなければ実証が難しい。ということは、その場での実証は不可能に近い。おまけに言葉のとりかたは人それぞれだ。

しかし、差別に対する宣言がされた、つまり、差別に関してはクリーンでなければならないこの大会で、母国では差別の撤廃運動に参加しているというマテラッティが、差別的言葉を使ったととられかねない難しい状況(相手がジダンという特別な選手だったことを含む)で言葉の暴力を使ったのは、何故だろう。いつもやっていることだからついやってしまった?そうかもしれない。しかし、それに加えて、以下の理由があると思う。

今回、イタリアは、試合の最初に、理不尽なPKをとられてしまった。あのPKは微妙だけど許容範囲だったという意見が主流のようだけど、やはり、私は理不尽だったと思っている。DFのマテラッティはファウルをとられないよう、はっきり脚を引っ込めている映像が残っているのだし、審判のかなり強引な判断だったと思う。但し、それが、主審が統べるサッカーというスポーツの特質なのだから、しかたないこととは思う。マテラッティもしかたないと思ったことだろう。

でも、とにかく自分のせいで先にフランス側に点が入ってしまったことには変わりない。そこで、マテラッティは必死になった。自らの力で一点返し、同点にした。そして、本来ならその1点で勝っていたはずのイタリアに勝利を取り戻そうと、しゃかりきになってディフェンスをした。言葉の力でもなんでも総動員した。そのダーティな言葉の一つがうまく、ジダンの心にクリーンヒットした。そして、マテラッティは、ジダンを退場に追い込んだ。彼の作戦が功を奏したのだ。

ピッチ上ではチームの勝利の為にはなんでもやる(=勝利の為にやることは汚いことと思わない)人間と、チームの勝利より自分や家族の名誉と気持の方を重んずる人間。ここで言う人間を民族と置き換えてしまっていいかというと、う〜ん、ほとんどかまわないのではないだろうか。いずれにしろ、どちらも日本人とはかなりかけ離れた人達であることは間違いないと思う。

今回のことで、コテコテの日本人な私なんかは、サッカーというのは、こういう「濃い」人達がやるスポーツなんだから、日本人が強くなるのは難しいよな、なんて改めて思ってしまったのだった。しかし、これも外人に対する先入観に基づいた一種の差別意識なのかもしれない。

でも、そんな私でも、ジダンを擁護するフランス人の国民感情も、マテラッティは罰を受けるようなことをしていないと主張するイタリア人の論理もそれほど無理なく理解することはできるんだから、両方を尊重しつつ罰したFIFAの裁定はまあ妥当なところだったのではないかと思うのであった。マテラッティの暴言の内容を封印したことと、ジダンのMVP剥奪をしなかったことを含めて。

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200607/st2006072101.html
(いろいろ出てる中で、このサンスポの記事、とてもわかりやすかったように思います。)
posted by miquage at 23:08| Comment(2) | TrackBack(2) | その他サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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