2004年08月28日

「うつくしい子供」(Beautiful Child)

平仮名にしただけで、ほんとに「うつくしい」感じがする上に、はかない感じのニュアンスまで加わる。この形容詞の後につくのが、「子供」だから、やはり「美しい」より「うつくしい」でなくちゃならない。

このタイトル見たとき、ちとオヤジらしいあざとさはあるけど、やるねぇ!と思った覚えがある。この短編集を気に入って、一作だけの翻訳業をやった野坂昭如って、さすがに作家であるだけのことはあるかも、と。

「ところで、これは何ですか?」
「トルーマン・カポーティが、マリリン・モンローについて書いた短編のタイトルです」

カポーティは、やはり今でも心底好きな作家だけど、どうしてもやはり処女作の「遠い声 遠い部屋」が最高。結果的にも、21歳で出したこの処女作を越えられなかった人だと思う。(「冷血」はすごかった、うん、ほんとにすごかったけど、ねえ。。。)

後半生は、アメリカ芸能界版「おすぎとピーコ」風のゲイのおじさん作家として過ごした。当然、マリリンとも大の仲良し。その彼女を、彼は、「うつくしい子供」と呼ぶのである。ちなみに短編集では、この「うつくしい子供」が入っている、「カメレオンのための音楽」(野坂昭如訳)が一番よかった。好きという言い方で言えばもっと好きなものはあるけど、質的にこれを越えるものはないんじゃ、と思う。

この間、年輩の評論家が、自分達が若い頃、マリリン・モンローはあこがれというよりお笑いだった。映画であのおっきな胸とお尻をふりながら出てくると皆どっと笑ったものだった、って書いていて、かなり腹が立った。そんなはずはない。実際、私の周囲の年寄りはみな、マリリン・モンローはほんとうに可愛くかつ美しかったと言っている。

・・・こういうことでハラがたつのは、マリリン・モンローがけっこう好きだからだ。さすがに最後のころの映画では身体の線がくずれてしまって、もちっとお腹とかひっこめたら、と思ったものだけど、若い頃の映画はほんとによかった。

男が女に求めるものをすべてもってる、と言われていた女優だけど、女性ファンもとても多かったはず。特に日本ではそうだったはずだ。(本人はイヤだったんだろうけど)笑っていない時は寂しげな、よるべない子供のような顔になるとこもよかったのだ。さすがに私はオンタイムでは見てないが、写真集では、そういう表情が見事に写しとられていて、胸にせまるものがある。

マリリンを頭の足りないブロンドの代表のように考えるのは間違っている、演技も本格派だったし、セリフだって実は全部覚えて現場にきていた、という話は何度も書かれている。だけど、とても運の悪い女だったことは確か。内面と外面のアンバランスさから生じる矛盾に押しつぶされていく過程のような人生だった。

「うつくしい子供」とだけ書くと、白痴美のような感じがするけど、カポーティが言っているのはそうじゃなくて、天からこの世にもたらされた何か特別の「うつくしい子供」だったってこと。人の世にはそぐわない人間だったということ。何かが欠けているか何かが過剰、そうするとこういう人間ができるのじゃないかと思う。
posted by miquage at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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